こども編集部        

<高校生サポーター>

まひろ(編集部員1期・2期・初代編集長)
2023年10月~2024年3月の半年間、全6回でコラムを掲載します。

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(初期の頃、まひろちゃんが撮影した数少ない写真の中の1枚)

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〈vol.1〉

このコラムを見てくれている人は、こども編集部が一体なんの団体なのか、少なからず、そのことに関心を持ってくれているのではないでしょうか。

現在通信制高校生として人らしい生活を送っている私が、中学生時代どのように狂って、どのように編集部と出会い、どのように更生していったのか、順を追って説明していきたいと思います。

私の不登校生活が幕を開けたのは、中学生1年生の秋から冬にかけてでした。
といってもいきなり不登校になったのではなく所属していた女子バスケットボール部を辞めたのがきっかけです(心身の不調と我慢の限界を感じ、さらには部活動をする意義への違和感までも覚え始めたため)。

そこからタガが外れたように全てに疑念を抱き始め、自主的に学校に行かないことを選択しました。
そこからの生活は世間の抱く健全な中学生の生活のイメージとはかけ離れたもので、勉強に手はつかずもちろん外出する気にもなれずで一日の全てを自室で過ごしました。
せめて好きなことをすればよかったものの読書するにしろお菓子作りにしろ集中力が切れてしまいます。

「この生活はいつまで続くのだろう」「みんなは学校に行って勉強している中私は何をしているのだろう」「早く普通の生活に戻らないと」など未来に対する不安が頭を埋め尽くしてしまうためです。
そうして何もできず、比喩ではなくただ起きて寝るを繰り返す生活になり、ついには何も考えたくないあまりに一日のほとんどを寝て過ごすという生活になっていきました。

私がこども編集部に出会ったのは母親からの勧めがきっかけでした。
元々文章を書くことが好きでメディアにも興味があったことを母が知ってくれていたためです。
こども編集部に少なからず興味はあったものの、入部したころは自分の中でこんなに大きな存在になるとは思っていませんでした。

習い事ではない、フリースクールでもない、どんな枠にも収まりきらないこども編集部が、不登校だった私を受け入れ、居場所と希望を与えてくれたのです。

 

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〈vol.2〉

不登校になった当時、毎日が自身との葛藤であり常に自責の念を抱いていました。
またそれを相談する人もおらず塞ぎ込んでいました。そんな私に新しい居場所ができ、定期的に足を運ぶようになったことは大きな進歩でした。
その間編集部で、たくさんのことが身についたと思います。

まず一つ、人との関わりかたを教わりました。
学校の先生しか大人を知らなかった以前に比べ、先生ではない色々な技術を持った大人たちとの関わりが増えました。
その大人たちは、私たち子どもに真摯に対応し、まるで平等であるかのように接してくれました。
もちろん叱られることもなかったです。
それから、顔も名前も初めて知る、何も知らない状態から仲良くなれる友達がいることもよかったと思います。
中学生になって初めて、仮面をかぶっていない本当の自分として人と接することができる環境を作ってくれました。

それから、気持ちを溜め込まないことを教えてくれたのも編集部でした。
日々インターネットを見て薄っぺらい情報を取り込むだけの毎日が、編集部に通ってからそれまでの鬱憤を晴らすかのようにたくさんの人と話しました。
信頼できる大人に自分のことを話せるようになったのは大きな成長だったと思います。

最初は大学生の方にお話を伺ったり、コスプレイヤー高校生に取材したり、HP作成のミーティングに参加したり、みんなでロゴを作ったりと、最初は大人サポーターについていく形で参加していました。
それだけで十分楽しかったからです。

ただそこへ行って、話を聞き、人と触れ合い、取材レポートを書くこと、とシンプルなルーティーンでしたが次第にそれは私の生活と考え方を変えて行ってくれたのです。

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