「こども編集部」を支えるおとなたち。Vol.2は、「取材・編集ワークショップ」などで、取材の仕方や文章の書き方をこども達にレクチャーしている、ライター・校正者の<せいちゃん>です。
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まいにち書いていた「あのねちょう」
「おとつい、おねえちゃんのつくえの下にあった木のえだのことです。
わたしは、一しゅうかんほどまえから、おねえちゃんのつくえの下に木のえだがあったことをしっていたのに、「りかにおねえちゃんがつかうためにおいてあったんだ。」とばかりおもっていたけど、おとつい、きゅうにおもいつきました。
「このごろベランダにはとがいっぱいウンチをしにくるから、はとが『すづくり』につかうために木のえだをおいているんじゃないかな。」とおもいました。
それで、なんだかしんぱいになって、いっかいおかあさんにはなしてみたら、おかあさんが「◯◯ー、あんたのつくえの下に、はとがすをつくりようみたいよー。」というと、おねえちゃんが「ええっ。」といってとんできました。
きゅうにおねえちゃんはこわがりました。
おとうさんも「どうかしたのかあ。」ときました。
おねえちゃんがあわてておとうさんに「これどうにかしてえ。」となきだしそうなこえでいいました。
おとうさんはわらいながら「なんや、これかあ。」「たいへんなくろうしてはこんだんやろうなあ、こんな大きなえだ。」といいました。
わたしもびっくりしました。なにしろ、27本ぐらいありました。
「なん日もかかって大きなえだはこんだのに、もう一かいきて、木のえだなかったら、がっくりしちゃうだろうなあ、かわいそうだな。」とおもいます。」
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これは、私が小学校2年生のとき、担任の先生との交換日記「あのねちょう」に書いた、ある日のひとコマです。本が大好きで、ひとり想像力を膨らませるのが得意なこどもだったので、身の回りのこと、頭の中で作った物語などを担任の先生に伝えたくて、毎日のように日記を書きました。「毎日書くべし」という決まりなどなかったのに、気がつけば一年に7冊も8冊も書くこともあって、今とな
れば、先生もコメントを書いて返してくれるのが大変だっただろうなあと思います。
今、私は中学生から幼稚園児まで3人の子育て中です。中学生の長女は、作文は嫌いではないけど、「自由に書いていいよ」という類いの作文になると「なに書いたらいいのー?」とすぐ、聞いてきます。読書感想文は大嫌い。苦行のようだと言います。
なんでだろう? 他の誰でもない、自分の気持ちを書くだけなのに。最初はその「難しさ」がわからなくて、お手本があればいいのかと、「伝わる書き方」のセオリーを教え込もうとしました。でも、なんか楽しくない。そうして無理やりひねり出した文章は、なんだか「こう書けばいいんでしょ」みたいな空気を出していて、書かされてる感が満載なんです。
そのときふと思い出したのが、自分の書いていた「あのねちょう」でした。書いては見せて、「様子がよく伝わってきたよ」「毎日、読むのが楽しみだよ」と先生に言ってもらったこと。ときには「よく書けているから、文集に載せよう」と言ってもらったこと。褒められたり、認められた経験を積み重ねて、私は文章を書くのが好きになったんだ。一方通行ではない「文を通した心のやり取り」が、書く力を少しずつ、育んでいったのだと思います。
「伝えるって、たのしい」を伝えたくて
大学では文学を勉強し、卒業後は広告制作会社に就職して、コピーライティングの基礎をみっちりと学びました。次に働いた雑誌の編集部では、文章だけでなく、写真やイラスト、その他の情報と組み合わせて「伝わる」誌面を作る方法を学びました。残業も多く、精神的にも体力的にもとてもとてもハードだったけれど、刺激的な会社員時代でした。
出産を機にフリーになり、子育てを生活の中心に据えながら、書くお仕事をほそぼそと続けています。そんなとき「こども編集部」立ち上げを聞き、「私が小学校の先生たちに受け止めてもらったように、こども達の表現を、めいっぱい褒めて、受け止める存在になれたら」と、おとなサポーターに加わりました。
記念すべき「こども編集部」第1回ワークショップでは、こども達が身近な塩屋の働くおとな達に取材をし、壁新聞にまとめるお手伝いをしました。キラキラした目で質問をしてメモを取り、文章を練り、思い思いの方法でこだわりの新聞をつくっていくこども達。まわりには、知らない人も含めていっぱいのおとながいて、「すごいねー!」「いいのができた!」と一緒に喜んでくれる。とってもあったかい光景が広がっていました。
学校と家の中にしか居場所がないこどもも多い現代に、こんな場所ってなかなかないよな。スタッフの一員でありながら、自画自賛。「伝えるって、たのしいよ」とこども達に伝えながら、これからも一緒に、ワクワクしていきたいです。